私はレニングラード生まれ、サンクトペテルブルク育ち、モスクワ在住のフォワードディフェンダー。
私は 11 歳でホッケーを始め、私よりもはるかに若くて強い男子少年たちのチームの中で練習をしていました。
ホッケーにすっかりハマってしまい、私より2歳年下と2歳年上の選手と1日3回練習に通いましたが、トレーニング後は疲れからバスルームで枕の代わりにバスタオルを敷いて寝てしまいました。
そうしたトレーニングで私のレベルは急成長し、15歳で女子プロホッケーチーム「SKIF」(モスクワ市)のトレーニングキャンプに参加しました。モスクワにへ引っ越しする準備ができていなかったので、トレーニング後には実家まで帰宅していました。そして、実家に暮らしながら私はスパルタク・マーキュリーチーム(エカテリンブルグ市)の女子チームとしてロシア選手権に1シーズン出場しました。試合の1週間前にチームに合流し、トレーニングと試合をして、家へ戻ります。ホッケーのシーズンが終わった後、私は再びモスクワ市の「スキフ」のトレーニングキャンプに行き、その年(2003年)に女子ホッケーチームトルネード(ドミトロフ市)が創設されたので、そこでプロホッケーの自分の旅を続けました。その後、良いことも良くないこともたくさん経験しました。
そしてある日、私はホッケーから離れることを決心しました。完全にやめたのです。 私のホッケーユニフォームを子供ホッケーチームの女の子たちにあげて、二度とリンクには行かないようにしました。そして私は数年間...プレーしませんでした。ホッケーも見なかったし、トレーニングもしていませんでした。
しかし、2014年、運命が私をホッケー界で働くように引き戻しました。そしてホッケーは私の人生に戻ってきたのです。最初はオフィスでの仕事の形で、それから再び氷上にも出ました。それはそれはとても大変でした。でもますますホッケーに夢中になりました。そして私はグローザクラブ(サンクトペテルブルク市)の女子ホッケーリーグに出場することにしました。
私はモスクワのアマチュア男子ホッケーチームで練習を始めましたが、『オクリリョーネホッケー』が、再び旅行、大会、トレーニングすべてのホッケー人生を戻してくれました。
私の子供もホッケーをしています 。これで 私の人生にはさらにホッケーが増えました。
そして私は自分自身を『オクリリョーネ ホッケー』(ホッケーにインスパイアされる)だと思うようになりました。それはホッケーへの愛ゆえです!
私の人生はすべてホッケーと繋がっています。私の仕事の一部は子供向けホッケートーナメントの開催に関係しており、トーナメントを開催する時にはポジティブな気持ちを感じます。